「盛り上げる」でもなく「盛り上げられる」でもなく…~レクリエーションとは何か②~
「盛り上げる」でもなく「盛り上げられる」でもなく…~レクリエーションとは何か②~


日中の一コマ。

昔、幼稚園の先生をなさっていたという利用者様がキーボードを弾いてくださり、歌会が始まりました。

みなさんのリクエストにこたえながらさまざまな曲を演奏してくださいました。

「面白いね。指が覚えてるもんだね」とのことです。

この歌会はとても自然な感じで始まり、参加したい方が自発的に参加するようなかたちで進められていきました。

歌会それ自体が自然に、自発的に流れていくみたいに。

 



『中動態の世界』という本があります(國分功一郎著、医学書院、2017年)。

 

私たちは「する」(能動態)と「される」(受動態)という枠組みに慣れ親しんでおり、それが当たり前だと思っていますが、かつてはそうではない文法事項として「中動態」が存在しました(しかもそれは現在でもギリシャ語などの言語では普通に使われているそうです)。

 

『中動態の世界』は、一言でいえば「中動態とは何か?」という問いをめぐって書かれた本です。

 

面白いのは、日本語の中にも中動態が生きているということです。

 

日本語の「れる」・「られる」には可能・尊敬・受動・自発の意味がありますが、どうやらこの中の「自発」に中動態が潜んでいるらしい。

 



視点を美穂の家に戻します。

 

先ほど紹介した歌会は、自然に、自発的に始まったと書きました。

 

もちろん職員が補助に入ったり進行を手伝ったりといったこともありましたが、歌会はそれ自体として盛り上がっていきました。

 

「職員が歌会を盛り上げる」(能動態)ではなく「歌会が(職員らによって)盛り上げられる」(受動態)でもなく、「歌会が盛り上がる」(中動態)――。

 

こんな風に、日常生活としてのレクリエーションが楽しいものになっていったらいいですね。

 

 

 

今回の文章は、美穂の家沓谷の田邉が書きました。
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