レクリエーションとは何か?
レクリエーションとは何か?

昨日、美穂の家のホームページについての会議があり、そこでとても有益な気付きがあったので、それをここに書き留めておきます。



私たちは普段、何気げなく「レク」(レクリエーション)という言葉を使います。「おやつレク」「外出レク」など、数え上げればキリがありません。まるでノルマのように。

レクリエーション。Re(また)-Creation(作ること)。また作ること。もう一度、作ること。

このことはみなさんご存知だと思います。

では、何をまた作るのか?

ここでは、「『楽しい』をまた作ること」と言うに留めておきます。なるべく広く大きなイメージで(「楽しい」とは何かについては、最後に補論で簡単に触れています)。



病気や障害によって今までできていたことができなくなり、それまで通りの生活が送れなくなる人たち(美穂の家をご利用のあるパーキンソン病の方は、そのことを「どんどんむしり取られる感じ」と表現していました)。

そういった方々の気持ちを真の意味で理解することは困難です。

それでも私たちには、その人たちがそのときだけでも「楽しい」と思える瞬間を作ることはできるかもしれません。

それはほんの些細な「気晴らし」に過ぎないかもしれません。

気晴らしである以上、その「楽しい」は時間が経つにつれて色あせていくでしょう。

物忘れの早い方であれば、それはほんの一瞬で記憶から消えてしまうかもしれません。

生まれては(すぐに)消えていく「楽しい」を、そのたびごとに、また一緒に作っていくこと。

忘れちゃったらもう一回やればいい。

それがレクリエーション(Re-Creation)なのではないか。



レクリエーション(「レク」)をこのように捉えてみると、それはもはや「〇〇レク」「〇〇レク」(ここで使われる「レク」は「ゲーム」とほぼ同じ意味です)というように分断されるものではなく、「生活」(=Life=人生)として連続しているものとして見えてきます。

それは食事することや排泄すること、寝ることや遊ぶことをも含んだ非常に広い概念です。

その意味で、「はーい、みなさん、今からレクを始めますよ!」という声掛けは、連続しているものを無理やり区切ろうとすることにもなりかねません。ご利用者はもちろん、職員も疲れるでしょう。

私たちとしては、ご利用者一人一人の異なる生活の連続(流れ)を(できるだけ)分断する
ことなく、その流れに寄り添うようにして「楽しい」を一緒に作っていきたいものです(ここで「できるだけ」と留保を付けているのは、福祉サービスの提供それ自体がつねにすでに分断的でありうることを自戒するためです)。



最後に、このような「理想論」をブログに書くよう勧めて下さった田島社長に感謝します。



補論1:ここで当然、「楽しい」とは何かという問いが生まれます。昨日の会議では、「根拠のない自信を持つこと」というキーワードが出ました。また、哲学者の國分功一郎さんは著書『暇と退屈の倫理学』の中で、「楽しむ」ことは決して簡単なことではなく、むしろ非常に難しいことであると述べています。人が何かを楽しむことのできるようになるためには、「訓練」(「勉強」「学習」と言い換えられるかもしれません)が必要である、と。

補論2:レクリエーション(Re-Creation)とリハビリテーション(Re-Habilitation)はそれぞれ「レク」・「リハビリ」として日常的に用いられる言葉ですが、この二つを並べてみると興味深い論点が出てきそうです。



最後までお読みいただきありがとうございます。今回に文章は美穂の家沓谷、田邉が書きました。

 

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