美穂の家ができるまで
子供時代から人が大好きだった私は、突然、自宅に5人もの人を連れてきて、
「一緒にご飯を食べる」と言うような子供でした。
出会いとともに、出会った人をすぐに家に連れてきては食事を共にすることが
楽しくて仕方なかったのです。
そんな私に、母はいつも「大丈夫よー」と言って、みんなの心とおなかを満たしてくれる食事の場を作ってくれました。
御馳走ではなかったけれど、みんなで一緒に囲む食卓の楽しさやおいしさは、今でも忘れることができません。
このことは、私に「人にとっての一番の御馳走がなにか?」を教えてくれました。
 
 
母が倒れ、実家に一人残った父が私の嫁ぎ先で一緒に生活をすることになり、

子供のころ笑い声の絶えなかった実家は、人の声すら聞こえない空家になってしまいました。

そして私は、父と母、母の妹夫婦の4人の介護をしながら、たくさんの方々にお世話になりました。
母が亡くなり、父の淋しそうな後ろ姿を見て、
「実家を子供のころのような、笑い声が絶えない、みんなが集まる場所としてよみがえらせたい」と、

強く思うようになりました。

   
また、この10年間の介護生活は私に多くの出会いをもたらし、一人住まいの高齢者の存在や、自立した生活を送りたいのに、体が少し不自由になってしまったために、不便を感じて生活をしておられる方がたくさんいることを知るきっかけにもなりました。
これらのことは、私がこれまでにお世話になった方々に、感謝を伝える方法を考えるチャンスにもなりました。
そして、多くの出会いや経験・学びを通して「今、必要とされている介護の仕事にチャレンジすること」が最良の方法なのではないかと思うようになりました。

空き家になってしまった私の実家は古い家でしたが、ココならば「おかえりなさい」「いってらっしゃい」と言える笑顔の絶えない、温かな心でいつも満たされている家になる。
「わが家のようなデイサービス」が「きっと作れる!!」と思うようになりました。

そして、思いをカタチにするために準備を始めると、一緒に夢をかなえてくれる仲間が次から次へと周りに集まってきたのです。
家を思い通りに作り直してくれた「建築屋さん」、お料理の天才「栄養士さん」、事務処理能力最高の「秘書さん」、いつも元気いっぱいのベテラン「ケアマネさん」。
「いつか一緒に仕事ができたらいいな」と思っていた優しい「介護福祉士」さんとは、彼女が中学生のころに出会いのご縁をいただきました。

ささやかな願いを心に思い描き、声に出して想いを伝え、汗を流して動き始めたことで、次から次へと心を寄せてくれる人たちが集まってきてくれたのです。

 
「人が集まると、幸せが生まれるよ」今にも母の声が聞こえてくるような気がします。

今日も、美穂の家には笑顔があふれています。

 
いつも、ありがとうございます。